安宅英一と
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:37 UTC 版)
圓城寺は美術に造詣が深く、1968年には「日本名陶百選展」の企画や美術書刊行などの功績から芸術選奨文部大臣賞を授与された。 安宅英一(安宅産業会長、相談役社賓)が主導して蒐集した東洋陶磁コレクション(安宅コレクション)の成長を圓城寺は後押しし、社内における立場が微妙な英一をそれとなく支援するため、日経は圓城寺の肝いりで安宅コレクション展を度々開催した。安宅産業は1975年に経営破綻し、安宅コレクションも散逸が懸念されたが、住友グループからの支援で散逸を免れ、大阪市に寄贈の上で大阪市立東洋陶磁美術館が開館してしばらく経った頃、英一がすべてが落着した記念にとコレクションの形成で世話になった圓城寺に、李朝の小品を贈呈したいと申し出た。 代理で英一に仕えた伊藤郁太郎(同館初代館長)が出向き、英一の意思を伝えたところ、圓城寺は「会社の仕事としてやってきたことで、ご好意は身に沁みるほど有り難いがこれは頂戴できない。安宅さんのことだからきっと魅力のあるものに違いない。開けて見れば、気の迷いも出るかも知れないから、このままお返しする」といって固辞した。伊藤はそれまでに何度も圓城寺の「借りは、作らない」という人生哲学を見てきたが、改めて、圓城寺の毅然とした爽快な対処の仕方に敬意と共感を覚え、意気揚々と英一のもとに小品を持ち帰っている。
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