安倍宗任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/27 14:40 UTC 版)
安倍 宗任 (あべ の むねとう)は、平安時代中期の武将。陸奥国の俘囚の長とされる豪族、安倍氏の安倍頼時の子[2](三男)。鳥海柵の主で、安倍鳥海三郎宗任とも呼ばれる。安倍氏の本拠地である鳥海柵の主であり、嫡妻であった清原氏の子として嫡子格の地位にあったと推察する説もある[1][3]。
- ^ a b 樋口知志「延久二年合戦について」『古代蝦夷からアイヌへ』天野哲也・小野裕子編、吉川弘文館、2007年
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 48頁。
- ^ a b c 『平泉藤原氏』工藤雅樹 2009年 無明舎出版
- ^ “記者ログ(11/27):最長政権の「源流」”. 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS (2019年11月27日). 2020年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月1日閲覧。
- ^ “鳥海の山名由来”. www.city.yurihonjo.lg.jp. 由利本荘市. 2019年9月5日閲覧。
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