学農社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 23:08 UTC 版)
1875年(明治8年)9月1日、麻布東町23番地に学農社を開業した。西洋種苗頒布ならびに『農業雑誌』の発行、農学校の経営に従事する。1876年(明治9年)に校舎落成と同誌の創刊、1877年(明治10年)、麻布新堀町2番地西に移転。1898年(明治31年)、仙が引退すると次男の次郎が社長を後継した。 出版事業は、「民間自由の一大農誌」として定期刊行物『農業雑誌』を1876年(明治9年)に創刊、新しい知識を得て各地に現われた果樹栽培や種苗農家は、農学校卒業生の助けを借りることになる。また、この農業専門雑誌には投稿者や読者が集い、それぞれが生活する場所にありながら、農学校で津田が進めようとした「新しい技術・知識」の共有と新たな時代への対応を、誌面を通じて享受する。津田が唱えた「農は百工の父母」あるいは「自由を重し」とする精神は受容の度合いに差はあれ、各地へバトンタッチされていく。1916年(大正5年)7月、宇喜多秀穂が社長を引き継ぐ。1921年(大正9年)、『農業雑誌』最終号を出版。
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