学歴と初期のキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/21 20:28 UTC 版)
「ジョン・キング・フェアバンク」の記事における「学歴と初期のキャリア」の解説
フェアバンクは1907年5月24日にサウスダコタ州ヒューロンに生まれた。彼はスーフォールズ高校、フィリップス・エクセター・アカデミー、ウィスコンシン大学マディソン校、ハーバード・カレッジ、オックスフォード大学ベリオール・カレッジなどで教育を受けた。1929年にハーバードをスンマ・クム・ラウデの成績で卒業し、イギリス帝国史を研究するためにローズ奨学生としてオックスフォードに留学した。オックスフォードでフェアバンクは清朝の文書が公開されることを知り、中国の海関制度の優れた専門家で、のちにフェアバンクの指導教授となるH・B・モースに教えを請うた。大志をいだく若き研究者はこうして1932年に博士論文の調査のため北京に渡ることになった。北京では卓越した歴史家である蔣廷黻の指導のもと清華大学で研究に取りくんだ。フェアバンクはこの蔣廷黻から新規に利用できる外交文書の調査や、中国学界の視点を学ぶことができた。なお、この時期、フェアバンクはウィルマ・キャノンと中国で結婚している。彼女もまたこの地で中国美術に関する自身の研究を進めている。1936年、オックスフォード大学は彼には博士号を授与した。彼の博士論文は修正され、1953年に『中国沿海部における貿易と外交――条約港の開放、1842年-1854年』として出版された。 フェアバンクは1936年にハーバードに戻り、中国史を教える職を得た。彼はハーバードにおけるこの分野で初めての専任教員であった。彼とエドウィン・O・ライシャワーは共同して中国と日本、のちには朝鮮と東南アジアも網羅した通年の入門授業を行った。このコースは「田んぼ (Rice Paddies)」講座と知られるもので、のちに影響力をもつようになった『東アジア――偉大なる変容』(1960年)と『東アジア――近代的な変容』(1965年)の二著として結晶した。
※この「学歴と初期のキャリア」の解説は、「ジョン・キング・フェアバンク」の解説の一部です。
「学歴と初期のキャリア」を含む「ジョン・キング・フェアバンク」の記事については、「ジョン・キング・フェアバンク」の概要を参照ください。
- 学歴と初期のキャリアのページへのリンク