女性用帽子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 23:27 UTC 版)
「ヴィクトリア朝の服飾」の記事における「女性用帽子」の解説
ヴィクトリア朝の間の女性の帽子は、ヴィクトリア朝後期に流行とされた、大きな羽根と花を乗せた装飾が施されたものと考えられることが多い。そこに至るまでには、何十年もの期間に様々な流行を経て発展していった。 ヴィクトリア朝のドレスの特定の部分が誇張されたつくりになっていることは、デザイナーがその時々に人気のシルエットを強調するための努力によるものであった。婦人帽子はこの方針にあわせられていた。ヴィクトリア朝初期のころには、クリノリンや鉄製の骨組みによってなされた大きなスカートがシルエットにおいて重視された点であった。そこから逸れないようにしつつ流行を高めていくために、大きさやデザインが控え目な帽子である麦わらや布のボンネットが好んで選ばれていた。摂政期(en)後半の間に着用されていたポークボンネット(poke bonnet)には高く小さな山や、1830年代までずっと大きくなり続けた横のへりがあったので、着用時には前からしか直接女性の顔を見ることができなかった。大きく膨らんだスカートの形を反映するようにへりは丸くなっていた。 そのシルエットはヴィクトリア朝末期になるにつれて、再び変化した。形は本質的には逆三角形で、頭には広いへりのある帽子、上半身にはふんわり広がった袖があり、バッスルも着用せずスカートは足首あたりで細められていた(ヴィクトリア朝が終わって少しの間には、ホブルスカート(hobble skirt)という、膝下あたりのつまった歩きにくいスカートが一時的に絶大な人気を誇った)。 この巨大なへりのある帽子は、絹でできた花やリボンなどの様々なものや異国情緒漂う羽根のような、精巧な飾りに覆われていた。時にははく製にされた異国の鳥全体が装飾されていることもあった。これらの羽根の多くはフロリダ湿地の鳥のものであって、乱獲によってほぼ完全に殺されてしまった。1899年までに、アデライン・ナップ(Adeline Knapp)のような初期の環境学者たちはこのような羽根のための狩りを減らすことに尽力した。1900年までには、一年に五万羽以上の鳥が殺され、フロリダの岸辺の鳥の約95%がこの目的で狩猟者(Plume hunting)によって殺された。
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