女性作者としての聖母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:55 UTC 版)
「マニフィカートの聖母」の記事における「女性作者としての聖母」の解説
従来、聖母は作者ではなく読者として描かれていたが、本作でボッティチェッリは聖母を作者として描いている。一般的なヒューマニズムの修辞学に従うなら、読書から執筆へと移行されていることには多くの疑問が提起される。伝統的に「マニフィカート」は書かれた文書ではなく、マリアによる演説であると信じられていた。しかし、この作者としての聖母の描写は、「不可能を表す修辞学 (描写)」を採用しているのかもしれない。女性のリテラシーと文章を構成する能力は「奇跡 (不可能)」であるという概念がある。他のどんな女性も、聖母を聖母たらしめる要素を得る能力を持っていない。キリスト教の環境で聖書を信じるすべての人から高く評価されている、処女で高貴な人物であるのが聖母である。一見、本作は当時のヒューマニストの女性作家や学者についてのフェミニストの声明のように見えるかもしれないが、女性のリテラシーへの運動とは関係なく、「不可能を表す修辞学」を使用している、裏返しの聖母への称賛であると分析することができる。ボッティチェッリは女性作家として聖母の立場をさらに強化し、母親としての役割と作家としての役割を並置している。聖母は幼子イエスを優しく世話する母として描かれると同時に、作家として前述の「不可能を表す修辞学」が例示されている。
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