太平天国軍との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 09:25 UTC 版)
新たに編成された淮軍は急いで上海救援に向かうが、その途上には太平天国軍の勢力圏がある。そこで上海の中外会防局はイギリスの汽船の7隻を雇って李鴻章の部隊を上海に運んだ。この時にはイギリスの中国派遣艦隊司令官ジェームズ・ホープが派遣した軍艦が護衛している。湘淮混成軍6500人を乗せたイギリス船は、長江の太平天国軍の勢力圏内を通り抜けて上海に到達した。 上海に到着した李鴻章は西洋の武器を購入して淮軍の装備を整え、イギリス人を招聘して淮軍の訓練を行った。この結果、淮軍の樹字営・春字営は虹橋での緒戦で大勝した。李鴻章は自ら前線で指揮を執り、わずか数千人で李秀成の10万余り大軍に打ち勝った。これによって淮軍の名声は大いに高まった。 同年、李鴻章は江蘇巡撫に任命され、この地で淮軍を拡大し、西洋の新式装備を採用も進めた。これによって淮軍はその後2年間で6千人強から6万~7万人に拡大し、清軍の中で最も装備が充実した部隊となっていく。また淮軍は上海の外国人傭兵戦力である常勝軍とも連携して太平天国軍を攻撃した。同治2年(1863年)から3年(1864年)にかけて淮軍は蘇州、常州を陥落させ、湘軍と共に太平天国を滅亡させた。
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