太平天国期
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道光16年(1836年)、安徽省の廬江(現・廬江県)で生まれた。家が裕福ではなかったため、3年ほど私塾に通っただけで10歳の頃には学問の機会を失ってしまった。咸豊4年(1854年)に太平天国軍が廬江を占領すると、丁汝昌も葉芸来の太平天国軍に参加したが、咸豊11年(1861年)に清朝の曽国藩が率いる湘軍に安慶が包囲されると投降し、逆に安慶攻略で功をあげて千総として召抱えられた。同治元年(1862年)に李鴻章の淮軍に編入されるとそこで太平天国軍と戦い、その勇敢さから劉銘伝の部隊に引き抜かれた。 同治3年(1864年)に太平天国が滅亡すると今度は劉銘伝に従って北上し、捻軍と戦う。同治7年(1868年)に東捻軍を撃退すると、丁汝昌は提督総兵官の官位と「協勇巴図魯」の勇者称号を授かった。ところが同治13年(1874年)に清朝が軍縮を決定すると、丁汝昌は自分の部隊を縮小する事の非について劉銘伝に手紙で猛烈に抗議している。これに怒った劉銘伝は丁汝昌を殺してしまおうとするが、暗殺計画を聞きつけた丁汝昌はさっさと職を辞して帰郷して難を逃れた。
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