天啓の齟齬に基づく論証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 20:23 UTC 版)
「パスカルの賭け」の記事における「天啓の齟齬に基づく論証」の解説
歴史上、数多の宗教が存在し、それぞれの神に実在する可能性がある。したがって、パスカルの賭けでそれらを全て考慮する必要があると主張する人もいる。これをargument from inconsistent revelations(天啓の齟齬に基づく論証)と呼ぶ。それによると間違った神を信仰する可能性が非常に高いことになり、パスカルの行った計算は間違っていることになる。ヴォルテールの同時代人であるドゥニ・ディドロはパスカルの賭けについて聞かれたときに「イマームも同じように推論できるだろう」と答え、このような見方を簡潔に表した。J・L・マッキーは「救済を与えるとしているのはカトリック教会だけではなく、アナバプテストやモルモン教やスンナ派やカーリーの信奉者やオーディンの信奉者など様々なものがある」と述べている。 パスカル自身は賭けの節自体では他の宗教を考慮していないが、それはおそらく『パンセ』の他の部分で(そして彼の他の作品で)ストア派、ペイガニズム、イスラム教、ユダヤ教などを検討し、どんな信仰でも正しいなら、それはキリスト教の信仰に通じるものがあると結論付けているためである。 それにも関わらず、このような批判が出てきたとき、パスカルの賭けを弁護する立場からの反論は、競合する選択肢のうち無限の幸福を与えるものだけが賭けの優勢に影響するとした。オーディンもカーリーも約束した幸福は有限で限定的であり、イエス・キリストの約束した無限の幸福には太刀打ちできず、したがって考慮に値しないとしたのである。また、競合する神が約束する無限の幸福は相互排他的だとした。キリストの約束する幸福はエホバやアッラーフのそれと同時に満たされることができ(これら3つはアブラハムの宗教と呼ばれる)、間違った神を信じたときのコストが中間(辺獄/煉獄)の場合は意思決定マトリックス上で考慮に値しないが、正しい神を信じないことが罰(地獄)を生じる場合は無限のコストとなってしまう。 さらに、パスカルの賭けのエキュメニズム的解釈では、無名の神や間違った名前の神を信じることは、それが同じ基本的性質を備えた神である限りにおいて許容できるとする。この方向性の信奉者は、歴史上の全ての神を突き詰めていくと少数の「本当の選択肢」になるとする者と、パスカルの賭けは「一般的な信仰」を人に信じさせるのが目的だとする者がいる。これに対して批判者は、パスカルの賭けはあらゆる神を考慮すべきで、それぞれの宗教の来歴は無関係だとしている。
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