大都技研時代
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1993年にエーアイはパチスロ周辺機器メーカーの大手である大都販売(だいとはんばい)の傘下に入る。しばらくはエーアイの社名のままパチスロを製造していたが、1997年にエーアイは大都技研と改称し、大都グループのパチスロメーカーとして再出発した。1年ほどの準備期間を経て1998年に大都技研としての1号機『キャメロットII』が発売された。筐体もオリンピアのものから独自のものとなり、大幅に変更された。 しばらくは独自の発想を持つ台を製造する玄人受けのメーカーであり、シェアもそれほど高くなかったが、2003年に発売された『吉宗』が約26万台を売り上げる大ヒットとなり、一時期は『北斗の拳』(サミー)とならんでホール内を席巻した。2005年に兄弟機とされる『押忍!番長』を発売し、これも約25万台(2006年3月現在)を売り上げる大ヒットとなって有名メーカーに仲間入りした。 『吉宗』発売から『押忍!番長』の発売まで間隔が約2年空いたほか、その後もしばらくの間新機種リリースのペースが年1回という比較的遅いものとなったが、これは発表する機種が必ずといって良い程大ヒットし長い稼動寿命を持ったことや、台の生産能力と受注台数との兼ね合いでそれ以上速いペースで新機種を発表すると生産が追いつかない可能性が高かったことなどが原因であると推測される。実際2008年には『新・吉宗』『爺サマー』『24 -TWENTY FOUR-』と3機種をリリースしており、再び新機種のリリース間隔が短くなっている。 2008年5月19日にパチンコ機メーカーの業界団体である日本遊技機工業組合(日工組)への加盟が承認されたことから、同社では自社ブランドによりパチンコ機市場へ参入する意向を発表し、2009年7月にその第一弾として『押忍!番長』の薫先生を主人公とした『CR3年P組薫先生!!』を発表した。 2011年には、4号機時代の人気機種の後継機である秘宝伝〜封じられた女神〜、押忍!番長2が各ホールに大量導入され人気を博した。さらには、いわば筐体の在庫処分として製作された政宗も、台数が限られた生産でありながらホールでの人気が高く、今後の後継機製作が期待されるなど大盛況の年となった。
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