大町への移転計画(1976-1980)
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「水戸市立図書館」の記事における「大町への移転計画(1976-1980)」の解説
1976年(昭和51年)3月11日、『水戸市第2次総合計画』が決定し、その中の社会教育の項で中央図書館の整備が掲げられた。この時点では水戸市当局には以前頓挫した上水戸一丁目の土地が建設候補地として念頭にあったが、土地の形状や日当たりなどの面で図書館用地としてふさわしくないことが判明したため、新たに3か所の候補地が選定された。ところが市内の材木店社長から大町三丁目の土地を図書館用地として提供する申し出があり、中心市街地かつ文教地区と好条件であったため、大町に図書館を建設することが1978年(昭和53年)に決定した。また図書館は当初、公民館との併設を想定していたが、図書館と併設して相乗効果があるのは文化財の保存・活用施設であろうという判断が下され、1979年(昭和54年)の水戸市制90周年事業の目玉として水戸市立図書館・郷土資料館(仮称)の建設のための補正予算が1978年(昭和53年)6月議会に上程された。 1978年(昭和53年)10月14日には設計コンペが行われ、6社の中から三上建築設計事務所の案が採用された。翌1979年(昭和54年)6月26日には起工式が挙行され、1980年(昭和55年)5月31日に竣工、6月15日までに末広町からの移転作業を終え、7月1日に約300人の出席の下で開館記念式典が執り行われた。翌7月2日から一般の利用者が閲覧・貸出できるようになった。この間、1979年(昭和54年)4月に図書館職員が5人から8人へ増員され、貸出方式はブラウン方式に切り替えられた。さらに1980年(昭和55年)4月には職員が16人に増員された。建設期間中には、茨城大学の教員と一般市民の交流の場である市民自由大学から派生して「図書館問題懇談会」が発足し新図書館へ各種の提案を行い、子ども文庫の会の関係者らが「水戸市の図書館をよくする会」を組織して移動図書館の早期実施を求めるなど市民運動が活発に展開した。両団体の意見は受け入れられ、懇談会の提案は実施設計に反映され、よくする会の意見は移動図書館導入を早めることになった。
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