大火と都市形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 14:07 UTC 版)
函館の都市景観は、数度の大火の影響により街路や建築物が変容している。つまり、二十間坂より函館西部地区の町並み以西の地区は、1878年(明治11年)、1879年(明治12年)の大火後の街区改正によってできた都市形態で、この地区の建物は1907年(明治40年)の大火で被災しているため、旧金森洋物店や旧開拓使函館支庁書籍庫など一部の耐火構造建築物を除くほとんどの建物はそれ以降の時期に建設されたものである。なお同地区は、歴史的環境を色濃く残しているところから1988年(昭和63年)9月16日に「歴史的景観地域」に指定され、現在では函館市都市景観形成地域として継承されている。旧函館区公会堂や函館ハリストス正教会(いずれも国の重要文化財)などがこの地区に位置している。 また、十字街から新川町にかけてのグリーンベルトに代表される街路は、1934年(昭和9年)の大火後の復興事業によって形成されたもので、これは戦前における地方都市の都市計画が実施された数少ない事例である。なおこの地区の建物は、1921年(大正10年)の大火後に建設された耐火構造の建物が一部残っている他は1934年(昭和9年)以降のものである。このように函館の都市景観の特徴は、大火の被災範囲が東へ移行するのと併行しながらも都市景観が帯状に時間差を有して推移していることにある。
※この「大火と都市形成」の解説は、「函館大火」の解説の一部です。
「大火と都市形成」を含む「函館大火」の記事については、「函館大火」の概要を参照ください。
- 大火と都市形成のページへのリンク