大火とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 00:50 UTC 版)
「フランケンベルク (エーダー)」の記事における「大火とその後」の解説
1476年5月9日に火災が起こり、旧市街と新市街の全域がその犠牲となった。聖母教会も完全に消失した。1240年頃に建設された「シュタインハウス」だけが天井階まで無事に火災を切り抜けていた。住民たちは直ちに再建に取り掛かり、フランケンベルクを当時のヘッセン領内で最重要都市の一つとしようと意気込んだのだが、火災の惨状から完全に回復することはできなかった。1507年に再び火災が新市街の半分を焼失させた。14世紀の前半から置かれ、フランケンベルクおよびフランケナウの都市行政とガイスマー裁判所の一部機能を有していたアムト・フランケンベルク本部は古い水城にあったが、新たに建てられたヴォルカースドルフの狩の城にその場所を移した。これによってアムト・ヴォルカースドルフは、レッデナウ下級裁判所管区(レンガースハウゼンおよびブロムスキルヒェン)とガイスマー裁判所管区を管轄するアムト・ヴォルカースドルフが設けられた。16世紀になってやっと、アムト・フランケンベルクが再興した。これには、市の他に、旧聖ゲオルゲンベルク修道院、ローデンバッハ農場、ヴィーゼンフェルト醸造所が組み込まれ、1604年にアムト・ヴォルカースドルフと統合された。
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