大株主の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:43 UTC 版)
会社設立時には株式総数2000株、株主は81人、筆頭株主は中村直三郎250株、続いて社長の小山田任風205株であった、筆頭株主になった中村直三郎は1919年(大正8年)に伊佐地区の石灰石山を買収し日本石灰株式会社を設立した人物であるが軌道会社の設立では部外者で発起人には加われなかった。実は発起人総代の山田正一は運送業を営んでおり、その馬車輸送に変えての軌道計画であったため自前で馬車輸送をしていた中村の参加は考えられなかったのである。社長の小山田任風は山田とは同族であり、中村の処遇に苦慮したが1922年(大正11年)1月に中村を伊佐軌道監査役に就任させた。まもなく山田正一は取締役を辞任した。続いて中村は日本石灰の定款を変更して伊佐軌道の株式を所有することと一般運送業を目的に加えて伊佐軌道の経営に参画する意思を示したが、これには個人株主を同社の方針としていた伊佐軌道会社側の抵抗が強かったので6月には再度定款を変更しこの項目を削除した。その後中村は1923年(大正12年)8月に監査役を退任したが個人としては1924年(大正13年)6月まで筆頭株主におりその後1925年(大正14年)6月株主名簿から姿を消した。 中村が伊佐軌道に対して起こした騒動により両社従業員の関係は険悪となり運送の際にもしばしば小競り合いをおこしていた。そこで1926年(大正15年)9月に藤川喜太郎が日本石灰の代表取締役に就任すると伊佐軌道の小山田社長宅を訪問し今後の協力を要請し、関係を修復した。そして処遇を一切求めない約束で伊佐軌道650株を譲り受けることになった。この株式は社有にはせず役員に分配し個人の所有とすることになった。この譲渡された株式は年月を経て1936年に日本石灰工業組合が鮎川義介に買収された際、経営管理を委任された田辺譲の名義となった。
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