待宵の小侍従
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小侍従(こじじゅう、生没年不詳:1121年(保安2年)頃 - 1202年(建仁2年)頃)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけての女流歌人。女房三十六歌仙の一人。石清水八幡宮護国寺別当光清の娘。母は小大進[* 1]。太皇太后藤原多子の女房として出仕したため太皇太后宮小侍従あるいは大宮小侍従と呼ばれ、また『平家物語』等に記されたエピソードから待宵の小侍従(まつよいのこじじゅう)として知られる。『源平盛衰記』では、高倉天皇の在位中は阿波の局と名乗っていたとする[1]。
注釈
出典
- ^ a b 『源平盛衰記』 内閣文庫蔵慶長古活字本 (国民文庫) 巻第十七
- ^ 『平家物語』 百二十句本(国会図書館本)巻第五
- ^ 『無名抄』 大輔小侍従一双事
- ^ 『古今著聞集』 巻八-十一 好色 322 後白河院の御所にして小侍従が懺悔物語の事
- ^ 『玉葉和歌集』 巻第十八 雑歌五 02482
『山家和歌集』 下 0936-0937 - ^ 八女市の指定文化財
- ^ 『黒木物語』 貞享五年八月下旬写本 八女市
- ^ “八女寸寸語”. (3)女郎岳物語(じょろうだけものがたり). 八女市公式ホームページ (2010年12月28日). 2011年12月15日閲覧。
- ^ “広報 やめ No.955”. 八女寸寸語 ③ 女郎岳物語(じょろうだけものがたり). 八女市役所市長公室秘書広報係 (2010年9月1日). 2011年12月15日閲覧。
- ^ a b c 武田(参考文献)
- 1 待宵の小侍従とは
- 2 待宵の小侍従の概要
- 3 脚注
- 待宵の小侍従のページへのリンク