大官大寺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 大官大寺跡の意味・解説 

大官大寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:08 UTC 版)

大安寺」の記事における「大官大寺跡」の解説

平城京遷都従い本寺新都移り(→#大安寺)、現地遺構が残ることとなった。後に編まれた『釈日本紀』には、寺号読みを「だいくわんだいじ」とあり、「おほつかさのおほてら」という読み付されている。文字通り官立大寺」という意味である。寺跡年月経たが、この地には堂跡と塔跡土壇残り、ここが大官大寺の跡であるという伝承近世からあった。 幕末から明治初期にかけて、岡本桃里という人物寺跡調査した際には、堂跡には45個の礎石塔跡には心礎34個の礎石残っていたが、1889年明治22年)から始まった橿原神宮造営工事のために礎石あらかた持ち出されてしまった。なお、堂跡の土壇については、付近小字名を「コードー」と言ったことから、講堂跡と見なされていたが、後年発掘調査結果正しく金堂跡であることが判明している。1904年明治37年)に本沢清三郎調査した際には数個礎石を残すのみであったが、礎石抜き取った跡の穴は残っていた。本沢作成した見取り図によると、堂は桁行9間、梁間4間、塔は方5間であった(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を意味する)。

※この「大官大寺跡」の解説は、「大安寺」の解説の一部です。
「大官大寺跡」を含む「大安寺」の記事については、「大安寺」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大官大寺跡」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大官大寺跡」の関連用語

大官大寺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大官大寺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大安寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS