大学内への警察力の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 09:01 UTC 版)
「筑波移転反対闘争」の記事における「大学内への警察力の導入」の解説
入試中止の責任を取って学長以下の全評議員が辞任したが、理学部教授会は交代の新評議員の1人として、辞任した評議員の一人である宮嶋龍興を選出した。責任を取って辞任した評議員が再任されるのはおかしいではないかという議論もあったものの、1月17日に開かれた評議会で新任評議員の互選で宮嶋を学長事務取扱(学長代行)に選出した。こうして、宮嶋竜興学長代行が大学運営の主導権を握ることになった。 1月18日 宮嶋学長代行が、学生に本館退去を命令したが、当然、学生が退去することはなかった。2月5日、理学部教授会は「大塚地区への学生の入構を禁止する」という提案を評議会に対して行うとの決定をした。事実上の機動隊導入と受け止められた。文・教・農の3学部教授会はこの提案を否決し、体育学部教授会は大塚の3学部教授会に一任することとしたので、賛成した教授会はなかった。 1月18日、1月20日、1月24日と続けて文学部学生大会が開かれた。共学同を主体とする文学部自治会闘争委員会が主張する「バリケードストライキ継続」の議案に対して、民青系による「バリケードストライキ解除」の対案が出され、双方は拮抗して両案は可決されなかった。文自闘議案には、社学同・中核派連合の修正案があり、対案には、民青系の他に、革マル系、有志連合系のものがあった。 1月28日の学生大会は、僅差で「バリケードストライキ継続」の議案を可決した。しかし、その背後には、「負けた時は、直ちに本館へ向かい立て籠る」という方針が共学同にはあった。 2月8日、全学闘は理学部の移転推進派教官3人を捕捉し、大衆団交を行った。全学闘側は、ロックアウト策動(前述の2月5日理学部教授会決定を指す)の自己批判などの確認書を勝ち取った。しかし、3教官は6日後にはこれを翻し、むしろ8人の学生を監禁罪で告訴した。 2月27日に学長代行は、近くの新大塚公園で「所信表明集会」を開いた。機動隊導入に進むためのアリバイ作りであることが明白だった。この集会への参加学生は約100名に対し、「抗議に800」「全学闘500」と報道された阻止・抗議の怒号に包まれた。 2月28日10時30分、大塚・駒場の両キャンパスに、学長代行が専断で機動隊を導入して学生を排除し入構を禁止した<新聞記事>。これに対し、文学部教授会と教育学部教授会は抗議声明を発表した。その混乱の中、ドイツ文学の桜井正寅教授が心筋梗塞で亡くなった。深夜1時すぎに帰宅した後のことであった。桜井教授は大正3年生まれ、まだ54歳だった<新聞記事>。機動隊はその日から少数ながら常駐して、すぐにも応援部隊が来る態勢をとっていた。
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