大会開催までの概要
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「プロレス・エキスポ」の記事における「大会開催までの概要」の解説
2008年7月30日、ちょうど力道山が中心となり日本プロレス協会が結成されてから55年後の日に、プロレスEXPOの開催とコンセプトが発表された。スーパーバイザーには当時新日本プロレス所属だった蝶野正洋が就任した。 プロレス(同大会の表記はProWres)をアニメやカラオケと同じように、日本語から世界共通の言語にしていくこと、それが出来るだけのレベルが日本のプロレス界にはあること。また後に業界でよく使われる「○○(国名)の力道山を創造する」というフレーズが使われたのはこの大会が最初であった。 なかなか参加選手が発表されず、結局9月まで正式な発表がなかったことが集客に苦戦した一因とも言われている(背景に国内メジャー団体の興行が同日に組まれていたことも大きい。特にプロレスリング・ノアは2日目に日本武道館大会が開かれ12,000人を動員)が、最終的には前述のようにプロレス興行としては史上最多となる13カ国から45選手が参加することが発表された。 また一部ではプロレス業界に黒船襲来などと揶揄されたものの、各団体からの支持、協力をとりつけ、事実上の大同団結が実現した大会であったと言われている。 後援としてはZERO1を運営するファースト・オン・ステージがこれにあたった。
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