大会開催のきっかけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 05:32 UTC 版)
「全国高等学校定時制通信制軟式野球大会」の記事における「大会開催のきっかけ」の解説
定時制独自の大会が存在しなかった昭和28年当時、群馬県の藤岡高校の定時制野球部は全日制同様、群馬県の高野連軟式野球大会に参加し、見事県予選大会に優勝したが、定時制4年生の二次予選の出場資格が認められず、再三の協議も空しく、結局二次予選に出場したのは全日制の前橋商業高校となった事に対し、「働きながら学ぶ定時制生徒に青春時代の喜びと希望を与える事ができない」と考え、藤岡高校と同じ定時制の高崎商業高校の教師須藤喜八郎を中心に定時制高校独自の大会を企画し、昭和28年の秋に県内で初めての定時制高校独自の軟式野球大会が開催された。 そして翌年昭和29年には1都8県の定時制高校主事協会を通じて大会開催を呼びかけ、集まった1都4県の6校で、現大会の第1回大会として開催された。その後、回を重ねるごとに参加県は増え、後に現在の全都道府県参加の大規模な大会となった経緯をもつ定時制高校教師達の手作りで始まった全国大会である。
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