夢を追いかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 00:19 UTC 版)
「ディック・ブルーナ」の記事における「夢を追いかけて」の解説
退学した彼は、オランダの書店や、イギリス、フランスの出版社に研修に出向き、出版のいろはを学んだ。研修の合間には、同じ画家志望の者と出会い、美術館や画廊を精力的にまわり、さまざまなインスピレーションを得る。 特にパリでは、フェルナン・レジェやアンリ・マティスといった現代芸術家たちの作品に、ディックがそれまで抱いていた絵画のイメージを大きく覆すほどの強い衝撃とインスピレーションを受ける。そしてディック自身もスケッチブックを手に街の様々な風景をスケッチし、油絵にしていった。 20歳になったディックはオランダに戻り、父や祖父に改めて「自分は経営者には向いていない、アーティストになることを認めてほしい」ことを告げ、ディックを後継者にするつもりでいた父を説得し、これを了承。アーティストとしての道を歩むこととなる。 20歳以降の数年間、アーティストとしての方向性を探る日々が続いた。 本格的に絵を学んだことのなかったディックは、アムステルダムの国立美術アカデミーに入学するものの、方向性の違いから退学する。 その後、様々なアーティストの画法を研究し、アンリ・マティスや、レイモン・サヴィニャック、カッサンドルたちの単純な輪郭や明解な色で構成されたシンプル、かつ訴求力のある作品を研究し、自らのデザインスタイルを確立させていった。 1951年、24歳になったディックは、イレーネ・デ・ヨングという女性と婚約し、2年後に結婚。またこの頃からブルーナ社の専属デザイナーとして働くようになる。
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