多摩における足跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 07:51 UTC 版)
白道は武蔵国多摩郡における足跡も見られ、現在の東京都あきる野市小和田・留原と八王子市恩方に資料が多く分布している。多摩郡における白道資料の濃密な分布は恵比寿講の隆盛との関わりが考えられている。白道は数次にわたり多摩と訪れ、寛政年間に多摩を訪れた時期があり、大月市鳥沢に住んだ文化年間にも多摩を訪れていたと考えられている。 あきる野市引田(多摩郡引田村)に所在する真照寺の過去帳や1915年(大正4年)9月の真照寺沿革誌によれば、白道は寛政元年(1789年)3月から翌寛政2年に真照寺において薬師如来の開眼と梵鐘制作を行ったという。真照寺の梵鐘は寛政2年(1790年)の年記と「甲陽食助願白憧」の銘文があったとされるが、戦時下の金属供出により現存していない。寛政6年(1794年)には荒川区西日暮里の青雲寺住職・谿洲(けいしゅう)の弟子となり、江戸市中・多摩で勧進を行い聖観音菩薩本堂・鎮守金毘羅本社拝殿を建立する。
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