外国人教官による教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 15:57 UTC 版)
李鴻章は、天津水師学堂の教官として英国海軍のウィリアム・ラング大佐を招聘。ラングは丁汝昌提督の次席の地位を与えられ、北洋水師の将兵に対し英国海軍仕込みの猛訓練を施した。ラング大佐が教えたのは、1866年の普墺戦争のリッサ沖海戦以来、列強海軍のスタンダードとされた横陣による衝角戦だった。(仮想敵の)日本海軍より正面火力が強く、大型の軍艦の多い北洋海軍に適した戦法だったが、日本海軍も訓練内容を知っており、1894年の黄海海戦では艦艇の優速を活かして衝撃を避け、単縦陣で近距離から(1880年代後半に性能が向上した)速射砲を猛射するという対策を採られてしまった。 またラング大佐は1890年、艦隊の指揮権を巡って丁と衝突したのを契機に退職、この際他の英国人教官も一斉帰国してしまった(ドイツ、アメリカなど他国籍の教官は残った)。従って日清戦争は、北洋水師としては装備・練度のピークが過ぎた時に起きた戦いだったと言える。
※この「外国人教官による教育」の解説は、「北洋艦隊」の解説の一部です。
「外国人教官による教育」を含む「北洋艦隊」の記事については、「北洋艦隊」の概要を参照ください。
- 外国人教官による教育のページへのリンク