外国人犠牲者への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 18:02 UTC 版)
「二・二八事件」の記事における「外国人犠牲者への対応」の解説
二・二八事件が発生した当時、基隆市の社寮島(現・和平島)に約30人の琉球人漁民が残ったが、中国語が分からなかったため処刑された。2011年に訪台した沖縄県議員・當間盛夫らの要請により、「琉球漁民銅像記念碑」が設立された。 2016年2月17日、台北高等行政法院は外国人犠牲者へ初めて賠償を認める判決を下し、二二八事件記念基金会(中華民国政府から委託を受け事件処理を行う基金)に対して犠牲になった与論島出身の日本人遺族の一人に600万台湾元(約2050万円)の支払いを命じた。また、これ以外にも日本人1人を含む外国人2人が犠牲者として認定を受けた。一方、事件前に与那国島から台湾へ渡ってそのまま失踪した2人は2017年7月と2018年3月に外国人犠牲者の認定申請が却下された。
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