外交努力とその挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:25 UTC 版)
マカリオスの要請を受け、国連は緊急安保理事会を召集した。会議ではソ連とトルコが「ギリシャとキプロスのクーデター軍への制裁措置」を取る事を主張したが、アメリカはキプロスにおける危険な活動を慎むようギリシャ、トルコ、クーデター軍への要請を行なったのみであり、クーデター自体を非難することはなかった。一方でイギリスはマカリオスがキプロスの大統領であり、クーデターの背後にあるギリシャ軍事政権を強く非難した。さらにキプロスの国連大使もギリシャ軍事政権とクーデター軍を強く非難したが、ギリシャ国連大使はこれに介入したことを否定、さらにキプロス国連大使が旧政権によって任命された大使であり、理事会に出席する資格がないと主張した。 7月17日、マカリオスはイギリスの説得を受け入れ亡命した。一方で外交解決の道も模索されており、ソ連、アメリカ、イギリスらが行動を起こしたが、ソ連は駐ギリシャ大使がギリシャ大統領キジキスに会見を拒否され、アメリカはキプロスで憲法と人権を尊重するべきであるという要求したのみでクーデターの批判は行なわなかった。イギリスも政府声明としてはギリシャを激しく非難したものの、トルコが要求していた共同軍事介入には触れる事がなかった。 トルコ首相エジェヴィトはイギリス政府とロンドンで交渉を行い、さらにアメリカのジョーゼフ・ジョン・シスコ (en) 政治担当国務次官も加わって会談が行なわれたが、トルコの提案をアメリカが拒否したため、会談は失敗に終わった。シスコはその後ギリシャへ向かい、ギリシャ大統領キジキスらと問題の解消について会談したが、これも何も生む事はなかった。 マカリオスは緊急安保理事会においてキプロス問題について演説を行なったが、アメリカはキプロスへの軍事介入を行なう場合は拒否権を発動すると通告。もはや国連にも主要国にも外交解決の手段は残されておらず、トルコ軍の介入は必至の情勢となった。
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