夕張記者クラブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 01:32 UTC 版)
左遷後も本社に居座り続ける本田の追放を画策した東京本社編集局長の外岡秀俊から、外岡の地元である北海道に異動すれば記者職に復帰できると唆され、2007年4月に北海道報道センターに転属となり、記者として復活。以降、定年まで本社に戻ることなく、夕張、札幌、福島、釜石と地方を転々とすることになる。異動直後は夕張支局で勤務していたが、『北海道新聞』が財政再建に向けた夕張市の取り組みをスクープすると、その都度市役所の担当部署に怒鳴り込み、記者同士の飲み会でも「あの記事は何だ」と他の記者に文句をつけてエキセントリックになることがしばしばあると報じられた。また、夕張市長の記者会見では質問者としての立場を超え延々と自説を開陳し、他の記者の質問時間を奪うなどの行動が災いして夕張の記者クラブを分裂させるに至ったともいう。これに関して夕張市総務課は「配慮が足りない」「田舎で記者クラブや新聞協会を持ち出し、モノを言っても通用しません」「早くローカルな人間になれ」と評している。
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