夕張炭労の報復説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 04:19 UTC 版)
「大阪事件 (創価学会)」の記事における「夕張炭労の報復説」の解説
ルポライターの竹中労が提唱。戦後夕張炭労と創価学会は選挙協力関係にあった。しかし1956年に行われた第4回参議院選挙でそれまで炭労の候補者に投票していた夕張の創価学会は、夕張炭労の推薦する候補者ではなく初めて独自候補者を立て支援活動に挑んだ。そのため分裂選挙となり夕張炭労の候補者は落選したが創価学会員の3000票ともいわれる組織票を失い面目丸つぶれとなった夕張炭労幹部がその報復で大阪事件を検察にリークしたとするもの。実際選挙前に夕張炭労の幹部が創価学会の婦人たちを呼び出し「学会を辞めなかったら、お宅の旦那はクビだ」などと恫喝したり、選挙後には創価学会系組合員に対して『労働金庫』の貸出し拒否、炭住長屋の補修サボタージュ、(学会をやめなければ)組合を除名(実質解雇)すると恫喝するなど報復が起こった。報復は大人だけではなく子供達までおよび仲間はずれやいじめ、お菓子を貰えないといった差別まで起きた。これら差別を学会内部では学会員が信教の自由を守り抜いた夕張炭労事件として語り継がれている。
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