夏は夜朝の岬で生れ落ち
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評 言 |
中学の国語の教科書に必ず載っている平安時代の随筆『枕草子』の冒頭「春はあけぼの」を想起させる。『徒然草』や『平家物語』の冒頭のように多くの国民が暗唱できるなじみの文である。清少納言は、「夏は夜」のあと「月のころはさらなり」と続け、「闇」の中を飛ぶ「蛍」に「あはれ」を感じている。 掲句では、「夏は夜」が「朝の岬」を印象づける。「夜」と「朝」の対比。朝から夜への時間の流れではなく、夜から朝への時間の流れが、新たな生命の息吹を想起させ、その生命に対する様々な思いを感じさせてくれる。その生命は、人間だけに限定されるのではなく、あらゆる生命体ととらえていい。 作者が、函館出身であることを考えると「岬」とは、立待岬であることを想定できるが、限定的に読む必要はない。「岬」は、大地が海に突き出た場所であり、出発点とも終着点ともとらえられる。「希望と絶望」「始まりと終わり」など陰と陽二つの顔を持つ場所だ。 また、「生まれ」ではなく「生れ落ち」であることを考えると、「生れ落ち」た「岬」という土地で様々な条件の中、「生」を享受し、いかに生きていくのかを自問しているかのように感じさせる。しかし、前述の時間の流れを勘案するとそれは決して、悲観するものではなく、強く「生きる」という主体的な意志であると読みたい。 そう考えると前述の『枕草子』の「闇」の中の「蛍」にも主体的な「生」の姿を見ることができ、それを含めた「あはれ」なのだと実感できる。 俳句の表現する世界の豊かさ、多様な読みができる俳句という詩型のもつ可能性を感じさせる一句である。 |
評 者 |
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備 考 |
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