変則的な日程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:03 UTC 版)
「2000年の日本シリーズ」の記事における「変則的な日程」の解説
2000年の日本シリーズは変則日程で行うこととなったが、これは当初予定されていた第3戦から第5戦にあたる、10月24日から10月26日において、日本脳神経外科学会が開催されたことにより福岡ドームが使用できなかったためである(のちに、26日のみ使用可能となった)。 1997年に日本脳神経外科学会が、2000年の10月24日から27日まで福岡ドームを貸し出すように依頼し、ドーム側はこれをダイエー球団の許可なく承諾した。球団が発見したのはそれから1年経過した1998年の秋であり、球団はシリーズ開催の可能性を考えて期日変更を求めたが、学会側は日程を発表した後で既に手遅れであり、世界各国から約2万人が集結する大規模な学会であることや、仮に期日変更をしたものの、ダイエーが出場できなかった場合にはリスクだけが残る可能性もあり、これを拒否した。 しかしその後、学会側が27日までの4日間の予定を26日までの3日間とし、さらに26日の学会を16時までから12時までに短縮させるなど、当初の予定を可能な限り変更する方針を発表した。そのため、ダイエーが出場した場合には10月21日から23日までの3連戦(21日・22日はセ・リーグ優勝チームの本拠地で、移動日なしで23日は福岡ドームで開催)、2日空けて、26日から29日までの4連戦(26日・27日は福岡ドームで、移動日なしで28日・29日はセ・リーグ優勝チームの本拠地で開催)の変則日程で行うことが8月21日に発表された。のちにダイエーがリーグ優勝を決めたため、この変則日程で行う事となった。 なお、この件に関しては、福岡ドーム側が球団の許可なく承諾したため、一見球団の責任ではないように見えるが、依頼のあった1997年から1998年秋までの間、球団の発見が1年以上も遅れた事をNPBは問題視し、間接的にリーグ優勝を目指していない球団の体質であると批判した。また結果的に福岡ドームでの開催は可能となったものの、移動日なしでの連戦に加え、第3戦終了から第4戦までの2日間の休みも練習場として福岡ドームが使用できない事など、選手らにも大きな負担を与えてしまい、ベストな状態での戦いができない環境を生み出す要因となった。 NPBはダイエー球団に対し、開催日程確保を怠ったとして制裁金3000万円を支払うように命じた。
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