境界の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 14:24 UTC 版)
独立の宣言後、バージニアの境界は大きく変わった。1779年、バージニアはノースカロライナとの南部境界線を西方に伸ばした。1784年と1785年、北部境界線についてペンシルベニアと交渉した。バージニアとペンシルベニアの間には植民地時代を通じて境界地域に関する論争があった。論争されていた地域が新しく造られたアメリカ合衆国の一部となり、新しい州であるバージニア州とペンシルベニア州(ともに合衆国を構成した最初の13州の1つ)は間もなく合意に達し、両州議会の合意に基づく条件で1780年代にヨホガニア郡(両州が領有権主張していた)の大半はペンシルベニア州の一部となった。バージニア州に残された小さな部分は郡を造るには小さすぎたのでバージニア州の1郡であるオハイオ郡に併合された。 最も重要なことは1784年に北西部領土に対する領有権主張を取り下げたことであった。今日の中西部大半と五大湖地方から構成されるこの広大な地域は当時辺境の地であった。幾つかの州がこの領土の領有権を主張したが、結果的に全州が北西部条例の下に連邦政府が管理することに同意した。バージニア州はあらゆる土地を放棄したわけではなかった。独立戦争の古参兵に報いるために取っておかれたバージニア軍事地域を確保した。1790年、バージニア州とメリーランド州は新しくコロンビア特別区を造るために領土を割譲したが、1846年7月9日のアメリカ合衆国議会法でバージニア州が割譲したポトマック川の南の地域は1847年を期してバージニア州に戻され、現在はアーリントン郡とアレクサンドリア市の一部となっている。
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