赤塚村 (茨城県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 21:28 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| あかつかむら 赤塚村 |
|
|---|---|
| 廃止日 | 1958年4月1日 |
| 廃止理由 | 編入合併 赤塚村 → 水戸市 |
| 現在の自治体 | 水戸市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 茨城県 |
| 郡 | 東茨城郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 34.48km2. |
| 隣接自治体 | 水戸市、常北町、内原村、笠間町 |
| 赤塚村役場 | |
| 所在地 | 〒311-41 茨城県東茨城郡赤塚村大字大塚 |
| 座標 | 北緯36度23分00秒 東経140度24分26秒 / 北緯36.38325度 東経140.40714度座標: 北緯36度23分00秒 東経140度24分26秒 / 北緯36.38325度 東経140.40714度 |
| ウィキプロジェクト | |
1955年に山根村・河和田村の各一部と上中妻村が合併してできたが、1958年に水戸市へ編入された。
地理
隣接していた自治体
歴史
年表
- 1953年(昭和28年)5月18日 - 二級国道122号前橋水戸線(現在の国道50号)が制定。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 河和田村の一部(大字赤塚を除く)・上中妻村・山根村の一部(大字成沢を除く)が合併し発足。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 水戸市への編入により消滅。
行政区域変遷
- 変遷の年表
| 赤塚村村域の変遷(年表) | ||
|---|---|---|
| 年 | 月日 | 旧赤塚村村域に関連する行政区域変遷 |
| 1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村がそれぞれ発足[1]。 |
| 1952年(昭和27年) | 4月1日 | 河和田村の一部(赤塚・河和田の一部)が水戸市に編入。 |
| 1955年(昭和30年) | 4月1日 | 上中妻村・河和田村の一部(赤塚を除く)・山根村の一部(飯富を除く)と合併し赤塚村が発足。 |
| 1958年(昭和33年) | 4月1日 | 赤塚村は水戸市に編入され、消滅。 |
- 変遷表
| 赤塚村村域の変遷表(※細かい境界の変遷は省略) | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||||
| 大塚村 | 上中妻村 | 昭和33年4月1日 赤塚村 |
昭和33年4月1日 水戸市に編入 |
水戸市 | 水戸市 | ||||
| 金谷村 | |||||||||
| 飯島村 | |||||||||
| 加倉井村 | |||||||||
| 河和田村 | 河和田村 の一部 |
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| 中丸村 | |||||||||
| 萱場新田 | |||||||||
| 木葉下村 | 山根村 の一部 |
||||||||
| 谷津村 | |||||||||
| 全隈村 | |||||||||
| 開江村 | |||||||||
人口
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交通
鉄道
村内には常磐線が通っていたが、駅はなかった。最寄駅の赤塚駅は赤塚村内ではなかった。
道路
その他
赤塚村には大字赤塚がなく、JR赤塚駅も赤塚村になく、水戸市にある。これは河和田村にあった大字赤塚が1955年4月1日の合併時に水戸市に編入されたためである。
脚注
関連項目
「赤塚村 (茨城県)」の例文・使い方・用例・文例
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