執筆と発表の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 22:59 UTC 版)
「一九二八年三月十五日」の記事における「執筆と発表の経緯」の解説
多喜二が1931年に雑誌『若草』に寄稿した「処女作の頃を思う」によると、初の普通選挙となった1928年の第16回衆議院議員総選挙の運動を銀行からの退勤後に組合でおこなっていた。その際に出会った人々が何人も選挙後に逮捕され、小樽だけで200人近くがその対象となって警察で拷問を受けていることに義憤を感じ、執筆を決意したという。 この原稿を送られた蔵原惟人は原稿から一部を削除、さらに作中に伏字を施した状態で『戦旗』に掲載した。掲載号はいずれも直後に発禁になったものの、その前に多くの読者の目に止まっていた。多喜二はプロレタリア作家として評価を受けた反面、警察での苛烈な取り調べの描写は特別高等警察の憎悪を招き、後年の逮捕・拷問死の遠因にもなったとされる。
※この「執筆と発表の経緯」の解説は、「一九二八年三月十五日」の解説の一部です。
「執筆と発表の経緯」を含む「一九二八年三月十五日」の記事については、「一九二八年三月十五日」の概要を参照ください。
- 執筆と発表の経緯のページへのリンク