型破りな急進書家とは? わかりやすく解説

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型破りな急進書家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 07:35 UTC 版)

張旭」の記事における「型破りな急進書家」の解説

張旭はその書に対す態度に関しても、また生活態度に関しても、実に型破りな人物であった肇の『唐国史補』によると、かつて公孫大娘という舞姫による剣器の舞を目にし、草書筆法を悟るヒント得たという。「張旭草書 筆法得て、後ち崔邈・顔真卿に伝ふ。旭の嘗て曰く、『始め公主担夫見て路を争ひ而して筆法意を得る。後ち公孫氏の剣器を舞ふを見て而して其の神を得る』と」。後年杜甫公孫大娘弟子十二娘による舞を目にし、「観公孫大娘弟子舞剣器行」と題した詩に詠んでいる。その序によると、「昔者、呉人・張旭草書の書帖を善くし、数々嘗て鄴県に於て公孫大娘西河の剣器を舞ふを見、此れより草書長進す」といっている。 このことは、同時代書家からすればどだい型破りなであった当時書道界六朝以来王羲之王献之親子の「二王」の書法尊んでおり、書家はまず「二王」の書から学んで書を体得するのが普通だったからである。 また欧陽脩『新唐書』の伝によると、「酒を嗜み大酔する毎に、呼叫・狂走して、乃ち筆を下し或いはを以て墨に濡らして書く。既に醒めて自ら視るに、以て神と為し、復た得る可らざるなりと。世 『張顛』と呼ぶ」と伝え、その書は「狂草」と呼ばれた前述の「飲中八仙歌によれば王や貴族の前ですらそうした行動をいとわなかったと詠まれている。李白はまた後年若き草書達人懐素詠んだ草書歌行」の中で、「張顛は老死して数ふるに足らず我が師は此の古へに師せず」と評している。ただし、「草書歌行」は、李白の詩ではなく後世偽作である。 これらの伝説には多分に誇張があるにしても、彼が権威を嫌い、ものともしない型破りな人物であったことは事実だったようである。このことが彼自身やその書作をそれまで書道界の「常識」への叛逆挑戦へと向かわしめたと思われる。 なお、彼の書は、あまりにも急進的すぎるため杜甫などごく親し人以外には受け入れられなかったようだが、彼の登場により「二王一辺倒書道界一石投じられ、のちの顔真卿改革派書家台頭する至った考えられる。 なお、顔真卿李陽冰彼の弟子と言われているが真偽のほど定かではない

※この「型破りな急進書家」の解説は、「張旭」の解説の一部です。
「型破りな急進書家」を含む「張旭」の記事については、「張旭」の概要を参照ください。

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