坂越が登場する資料/記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:10 UTC 版)
世阿弥が能の理論をまとめた『風姿花伝』には、蘇我入鹿の難を逃れた河勝が舟で坂越浦に漂着し坂越の地で終焉を迎えたことが書かれている。 室町時代の猿楽師金春禅竹の『明宿集』に「播磨の国の南波尺師(ナハシャクシ(坂越))の浦に寄る」の記述がある。 『風姿花伝』の記述を元に、哲学者の梅原猛は“舞楽の祖”秦河勝の伝承を基に書き下ろした新作能「河勝」の舞台を坂越としている。 『こゝろ』と『道草』の間に書かれた夏目漱石の最後の短編随筆となった『硝子戸の中』に、富士登山の画を送ってきて賛を強要する男として「坂越の男 岩崎某」が登場する。1915年(大正4年)1月13日から2月23日にかけて39回にわたって『朝日新聞』に掲載された。 司馬遼太郎は小説『兜率天の巡礼』において坂越の大避神社を登場させ、秦氏がネストリウス派キリスト教徒の末裔であったという物語を創作している。 柳田国男『石神問答』 - 石神、塞の神、道祖神をシャクシといい、坂越はシャクシの宛字であるとの記述がある。 中沢新一『精霊の王』 - 『猿楽の徒の先祖である秦河勝は、壺の中に閉じ籠もったまま川上から流れ下ってきた異常児として、この世に出現した。この異常児はのちに猿楽を創出し、のこりなくその芸を一族の者に伝えたあとは、中が空洞になった「うつぼ船」に封印されて海中を漂ったはてに、播州は坂越の浜に漂着したのだった・・・』との記述がある。
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