坂越沖で撃沈された せりあ丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 09:39 UTC 版)
「坂越」の記事における「坂越沖で撃沈された せりあ丸」の解説
坂越沖では、太平洋戦争末期に日本本土への石油輸送に成功したことで知られる一隻の大型タンカーがアメリカ海軍機動部隊に空爆を受けて沈没している。 1945年(昭和20年)7月28日、せりあ丸は相生の播磨造船所で貨物船に改造されるため坂越湾に停泊していたが、5時30分頃から始まったアメリカ軍の波状攻撃で船尾楼左舷に爆弾1発を被弾、13時20分再び機関室上部に命中した2発が致命傷となり大火炎に包まれながら生島の西方沖に沈没した。 この空襲では乗組員48人のうち一等機関士や甲板員、調理員など6人が犠牲になった。1948年(昭和23年)5月に引き揚げられ、日立造船桜島工場で改造の後、中東・バーレーンからの石油輸送に活躍した。老朽化に伴って1963年(昭和38年)2月にシンガポールで解体された。(詳細は、せりあ丸を参照)
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