地域事情による差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 05:12 UTC 版)
ただし、「一県一行」は、あくまで目安であり、東京府・新潟県・兵庫県については、日本銀行の合併勧奨案にて当初から例外的に2行存続方針となっていた(但し、神戸銀行への合併を拒否し続けた香住銀行のみが集約されなかった兵庫県の場合、当局の意図とは異なる形で2行併立となった)。また、早くから米子銀行一行に集約されていた鳥取県と、既に最有力行の松江銀行を中心に3行に集約されていた島根県の場合、両行の営業エリアが両県に跨っており、疲弊した両県の経済の回復には両行の合併が不可欠とされ、山陰2県の全行合併を以て山陰合同銀行に集約された。進展具合には差異があり、同一県内に2または3の複数行残った地域がある(例えば、静岡県では静岡・駿河(スルガ)・清水各銀行が統廃合されずに現存している)一方で、北海道や大阪府のように地方銀行が消滅してしまった地域もあった(大阪府ではさらに住友・三和・野村の合併も構想されていたが実現しなかった)。1932年末に538行あった普通銀行は、1945年9月には61行(都市銀行8・地方銀行53)に減少した。1949年、吉田内閣の池田勇人大蔵大臣が一県一行主義の緩和を表明し、その結果、1950年以後、地方銀行の新設(いわゆる、戦後地銀など)が認められるようになった。最終的に1968年の合併転換法の公布によって名実ともに一県一行主義は撤廃されることになった。
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