地下鉄にかすかな峠ありて夏至
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季 節 |
夏 |
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前 書 |
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評 言 |
地下鉄と言えば、都会に通うサラリーマンにはなくてはならないもの。サラリーマンである私にとって、俳句のなかにサラリーマン生活をふんだんに詠みこむことは一つの目標でもある。今、一番興味のあること、今、自分にとってもっとも身近な出来事を詠みこむことが、俳句にエネルギーを与えると考える。それを離れてしまったら、どこか本質から逃げてしまうような気がしてならない。 私はかねてより、職場からの帰りホームの端で地下鉄を待っているとき、暗闇のなかから現れる通勤電車に、ちょっと恐ろしいイメージを抱いていた。それは、カーブを描きながらなだらかな坂を下りるようにホームに入ってくる。この句を初めて見たとき、これを「峠」と詠うのかと、とても感銘した。坂を坂と表現するにとどめればただそれだけのことになってしまうが、「峠」と表現することにより、地下鉄の中の金属的な現代的暗いイメージが、ふっと明るいものへと変化する。昇りそして下るときの微妙な感覚を作者は峠と言いとめた。周りに風景があれば峠を峠と把握できるが、闇の中でそれを感じることは難しい。 私は駅のプラットフォームの端でこのような光景を見ていたが、この句では「かすかな」という表現を入れることにより、作者は電車の中でそれを捉えたであろことが容易に想像できる仕掛けになっている。その微妙な感覚を体内に通し、かつもっとも昼の長い夏至という季節を通し、地下鉄に新鮮な風を流し込んでいる。そしてそれは、私の中にも流れ込んでくるようである。 写真提供:Photo by (c)Tomo.Yun |
評 者 |
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備 考 |
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