園芸化までの流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 14:57 UTC 版)
昭和30年代までは山野草の一種として一部の愛好家が栽培するのみであったが、その時代に栽培方法が確立され、やがて地域変異や変異個体がコレクション的に収集されるようになった。 昭和40年代頃から「ウチョウランブーム」と言われるほど栽培収集が過熱し、希少個体は投機対象にもなった。価格の高騰と共に専業の採集人もあらわれ、商業的な大量採集がおこなわれた。この時期に野生個体は著しく減少し、野生絶滅、あるいはそれに近い状態となった個体群も多い。多くの自生地では現在にいたるまで個体数が回復していない。 その後、昭和60年代頃までに無菌播種などによる人工増殖技術が確立され、希少系統の大量増殖が可能となったため価格が暴落しはじめた。流通価格は一年ごとに半額になり、球根一つが数十万円で取引されていた品種が最終的に数千円まで値下がりした。あたかも近世ヨーロッパにおけるチューリップ・バブルを連想させるものがある。現在は特別な品種を除けば、価格的に一般花卉と大差がなくなっている。 近年は園芸的な品種改良が進み、毎年のように新品種が発表されているが、最新品種には野生では生存が難しいと思われるものも多い。もはや園芸植物と呼ぶのが適切であろう。 ウチョウランでは組織培養などによって同一個体を量産することがそれほど容易ではないので、営利生産現場では主として無菌播種によって増殖がおこなわれる。播種から数年で開花株にまで育成され出荷される。日本国内に大量増殖をおこなっている専門業者が複数あり、少量ー中等量の生産をしている業者が多数、セミプロ的な生産をしている個人愛好家などもおり、人工増殖による生産品が安定して市場流通している。 現在、園芸生産品の大量流通によって、園芸的に見劣りがする野生個体の盗掘はほぼ無くなっている。というより取れるところは取り尽くされたとも言える。その反面、栽培下で維持されていた野生個体が栽培放棄されて消失するケースが出てきている。野生絶滅した個体群の栽培品をどう維持していくか、あるいは維持する必要は無いのか、公的な議論はほとんどされていない。
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