国際活動、社会活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:09 UTC 版)
戦後未だ外国への渡航が困難な時代から、国際水理学会への参加や論文発表を開始し、1964年(昭和39年)から1967年(昭和42年)の4年間は国際水理学会(IAHR:Int. Assoc. for Hydraulic Research)の副会長を務めた。 本間は、昭和20年代の後期から始まる日本の「海岸工学」の父でもあった。戦後に始まる海岸工学の国際会議にも度々出席し、更に日本での国際会議開催が稀であった時期1966年(昭和41年)に、東京での国際海岸工学会議を主催した。この会議には外国人約80人、国内からは約250名の出席者があり成功裏に終えた。東海村に日本最初の原子力発電所・東海発電所が建設されるに際し、海水によるタービン冷却水取水施設にともなう現地調査を行った。これは、この種の調査としては画期的なものであった。 海岸工学の対象である津波に関しては、1960年(昭和35年)のチリ地震津波の直後、米国ハワイに設置された「ヒロ津波技術顧問委員会」に日本側の委員として参画した。また、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の津波に対して東北電力の女川原子力発電所が耐えられたのは、建設立地についての本間を含めた委員会の意見を踏まえての東北電力副社長であった平井弥之助の指示、判断によるものであった(日経新聞-2011-10-による)。
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