国立中山大学理工学部
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「華南理工大学」の記事における「国立中山大学理工学部」の解説
「中山大学」も参照 国立中山大学は、1924年に孫文が設立した国立広東大学で、1926年に孫文への記念を表して、国立中山大学と改称された。当時の学長である鄒魯は、国立中山大学が工学部を開設することが非常に必要だと信じていたため、準備委員会を設立し、1926年に広東工業専門学校を国立中山大学の工学部の主要部分として受け入れ、工学部の設立を準備しました。しかし、広東工業専門学校はすぐに広東省教育庁に送還され、工学部設立への準備は中断されました。1931年に準備委員会が再編成されましたが、すぐに運営を停止した。 そのため、1931年9月に、国立中山大学は理学部に基づく、土木工学と化学工学科を追加し、理学部を理工学部として改組された。その後、1933年に、機械工学と電気工学科が理工学部に追加した。 1934年、国立中山大学理工学部は理学部と工学部に区切れた。同年の8月、工学部の校舎を含めていた「中大·石牌キャンパス」が現広州市中大文明路で落成され、工学部は翌月に石牌キャンパスに引越した。華南理工大学が2006年から使い続いた新たなロゴでは、工学部の石牌校舎が落成したこの1934年を大学成立の年として指定している。また、上記の国立中山大学石牌キャンパスは現在、華南理工大学北キャンパス(五山キャンパス)の一部であります。当時が建てた校訓石と牌坊もまた華南理工大学北キャンパスに見えます。 1938年夏、当時の広東省立勷勤大学は当局より解散し、その工学部が国立中山大学工学部に合併され、現在の華南理工大学建築学部と中山大学建築学部の前身になったである。 1950年9月、中華人民共和国が成立した後、広州にいた国立中山大学は現在の中山大学と改組された。 1952年11月、華南工学院の成立と共に、中山大学工学部を構成していた土木工学、化学工学、機械工学、電機工学と建築学科は華南工学院に合併され、そのうちの一部は現在も華南理工大学の一部である。
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