国民保険法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 01:02 UTC 版)
「ハーバート・ヘンリー・アスキス」の記事における「国民保険法」の解説
議会法可決後、ロイド・ジョージの主導で国民保険法(英語版)が制定された。 この法律は2部構成になっており、第1部は疾病に備えた健康保険制度を定めており、賃金労働者の多くを加入対象としていた(中産階級は民間保険の者が多い)。負担割合は被保険者が週4ペンス(女性は3ペンス)、雇用主が週3ペンス、国家が週2ペンスとなっている。その金額を収めれば、疾病の場合には男性被保険者には週10シリング、女性被保険者には週7シリング6ペンスが友愛組合(英語版)や労働組合から支払われる。ロイド・ジョージは「この法律で賃金労働者は4ペンス払って9ペンスもらえる」と称したが、労働者にとって週4ペンスというのは決して安い額ではなかった。 この健康保険制度はドイツ帝国宰相ビスマルクが制定したドイツ社会保険制度をモデルとした物であった。ただドイツの社会保険制度と比べるとドイツのものは国家主導なのに対して、イギリスのものは国家と民間団体の協力の上に成り立っている印象がある。これは権威主義と自由主義のお国柄と考えられている。 第2部は建設や造船関係の業種の労働者を対象とした失業保険制度を定めていた。被保険者と雇用主が週2と2分の1ペンスを負担し、国が1と3分の1ペンスを負担した。 国民保険法は福祉国家への第一歩を踏み出した法律であるが、その内容ははなはだ不十分であった。国民保険の本格的整備は第二次世界大戦後を待つことになる。
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