国家人民軍における旧ドイツ国防軍出身将兵
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「国家人民軍」の記事における「国家人民軍における旧ドイツ国防軍出身将兵」の解説
東ドイツでは西ドイツに比べると、非ナチ化(ナチ党関係者の公職追放)が厳しく行われたが、国家人民軍においては徹底されず、旧国防軍時代に親ナチ的態度を示していた者が将官に抜擢される例すらあった。 1958年1月1日時点で国家人民軍はおよそ20399人の戦力を有し、その内およそ2600人が将校だった。さらに将校の内、およそ1600人は元国防軍下士官、およそ400人は元国防軍将校であった。彼らは主に国防省内や教育機関、各軍管区内の前哨地点などに配置された。国家人民軍全軍で82箇所設置されていた前哨地点のうち、61箇所に元国防軍将校が配置されていた。 1957年2月15日に社会主義統一党政治局が下した決定に基づき、1950年代後半を通じて多くの元国防軍将校が退役を強いられた。これはアルノ・フォン・レンスキー、ヴィンツェンツ・ミューラー、ハンス・ヴルツなどの退役を想定したものであった。それにも係わらず、1960年1月1日の段階でも、元国防軍将校のうち654人が将校として、338人が兵下士官として国家人民軍に残留していた。 以下に列挙する国家人民軍将官らは、第二次世界大戦中、旧ドイツ国防軍軍人として鉄十字章を受勲している。 ルドルフ・バムラー(ドイツ語版)少将(1942年3月12日、当時大佐) ベルンハルト・ベッヒラー(ドイツ語版)少将(1943年1月28日、当時少佐) アルノ・フォン・レンスキー(ドイツ語版)少将(1943年1月21日、当時少将) ハンス・ヴルツ(ドイツ語版)少将(1943年1月25日、当時少将) 以下は同じく騎士鉄十字章を旧軍人として受勲した将官の一覧である。 ヴィルヘルム・アダム少将(1942年12月17日、当時大佐) オットー・コルフェス(ドイツ語版)少将(1943年1月22日、当時少将) ヴィンツェンツ・ミュラー中将(1944年4月7日、当時中将)
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