国内古馬戦の最高峰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:15 UTC 版)
再編され年2回施行となった帝室御賞典の時代から、天皇賞は古馬にとって最高峰の競走と位置づけられていた。当時の競走体系では、勝てば勝つほどより重い斤量を負担することになっており、定量で出走できる天皇賞を勝つと、以後は出走すればおおむね負担重量が60キロ後半から70キロ後半にまで跳ね上がった(現在中央競馬の平地競走では、60キロ以上の負担重量で出走する例がきわめて少なくなっている)。よって、馬にかかる負担を考慮すれば出走可能な競走は大きく限定されることになった。また帝室御賞典・天皇賞には1980年(昭和55年)まで「勝ち抜き制」があり、一度天皇賞(帝室御賞典)を勝った馬は、以降の天皇賞(帝室御賞典)に出走することができなかった。これは当時、天皇賞(帝室御賞典)を勝った馬が再度出走して敗れるようなことがあれば、優勝馬の威厳を下げてしまうとされた考え方に基づいており、天皇賞(帝室御賞典)を勝つほどの優れた競走馬は、優勝馬としての威厳を保ちつつ早く種牡馬になって競走馬の改良に貢献することが求められていた。なお、この制度に対しては、一部の競馬評論家の間で、批判されていた。 多くの古馬にとって、天皇賞優勝は最大の目標であると同時に、一度優勝するとその後の目標となるレースがほとんどなくなる。そのうえ、斤量がさらに増えることから、優勝後に引退する馬は少なくなかった。1937年(昭和12年、第1回)から1955年(昭和30年、第32回)までの優勝馬のうち5頭が優勝と同時に、10頭が優勝したシーズン限りで引退している。このほか、3頭が優勝後に地方競馬へ転出した。
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