四足門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:09 UTC 版)
集落の東西両端に残る「四足門」は、集落の境界を示す惣門である。門の構造形式は四脚門ではなく薬医門である。石組み上に本柱2本と控柱2本を立て、控貫と足元貫でつなぎ、本柱上に冠木を渡して、肘木で桁を支えており、茅葺の切妻屋根で覆われ、破風の飾りは菅浦独特のものである。現在に残る四足門には扉がなく、惣村の内外の領域を象徴的に示すものであるが、本柱を屋根の中心からずらして立てた構造により、万一の防御の際には容易に倒すことができるような仕組みといわれる。東の四足門は、棟札により江戸時代後期の文政11年(1828年)に再建されていたことが知られる。 「四方門」とも呼ばれ、かつては四方にあり集落の守護を司る四神を象徴して建立されたといわれる。残りの2か所の門跡は定かではないが、1か所は須賀神社の参道の途中(二ノ鳥居付近、郷土史料館前付近)に、もう1か所の門は須賀神社から集落(祇樹院方面)に降りる道筋(集落北端の山道)にあったとされる。 四足門と同様の惣門として、暦応4年(1341年)の史料「今西二藤屋敷売券」(菅浦文書354号)に大浦を意識して西側に構築されたと考えられる「大門」の存在が認められる。現在の四足門のような構造であったかは不明であるが、文安6年(1449年)の「菅浦惣庄合戦注記」(菅浦文書628号)には、文安2年(1445年)の大浦勢との戦いにおいて、集落を仕切る大門の木戸が炎上したことが記されている。また、菅浦は基本的に両墓制であり、門の内・外で明確に区切られ、遺体は西の門外の「サンマイ」という埋め墓に埋葬され、門内の寺院(阿弥陀寺・祇樹院)境内に「ハカワラ」と呼ばれる詣り墓(石碑群)が設けられている。
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