四月会の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 22:22 UTC 版)
「反創価学会キャンペーン」の記事における「四月会の設立」の解説
まず手始めに自民党は細川内閣樹立の前日に行われた創価学会の本部幹部会で池田大作名誉会長が「(公明党が)大臣ポストを4つ得た」という内容を話したことに着目、国会で「なぜ池田大作は内閣成立前に公明党が大臣ポストを得たことを知っていたのか?」という疑問を当時、自民党の広報本部長だった亀井静香(衆議院議員、元運輸大臣)が国会の衆議院予算委員会で代表質問した。また、自民党の機関紙『自由新報』で『公明党と創価学会は政教一致である』という公明党や創価学会への批判を繰り返した。 その後、自民党は創価学会を脱会した元学会幹部数名と接触し、創価学会の活動実態を聞き出すと1994年(平成6年)2月に自民党内の勉強会の「憲法20条を考える会」を設立する。また1994年(平成6年)5月には四月会(正式名称:信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会)を設立する。創価学会に批判的な宗教団体や有識者を集め活動をスタートさせた。そんな中、国民福祉税構想や細川自身の佐川急便から借り入れ処理問題により細川連立内閣に不協和音が生じ細川内閣が退陣、その混乱の中、社会党が連立政権を離脱し。羽田内閣が成立するが少数与党だった為に約2か月の短期間で退陣した。1994年(平成6年)6月に自民党は長年の政敵だった社会党と手を組み自社さ連立政権(村山内閣)を樹立させる。 詳細は「細川内閣#国民福祉税構想」を参照
※この「四月会の設立」の解説は、「反創価学会キャンペーン」の解説の一部です。
「四月会の設立」を含む「反創価学会キャンペーン」の記事については、「反創価学会キャンペーン」の概要を参照ください。
- 四月会の設立のページへのリンク