四月会の結成
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1994年(平成6年)5月に「四月会」が結成される。設立母体は自民党内の勉強会の「憲法20条を考える会」である。 1994年(平成6年)6月23日の「四月会」の設立総会には、当時は野党であった自民党の河野洋平総裁・社会党(後の社民党)の村山富市委員長・新党さきがけの武村正義代表の3人が出席し歩調を合わせた。1994年(平成6年)6月30日に自民党と社会党(後の社民党)と新党さきがけの3つの政党により自社さ連立政権(村山内閣)が発足した。村山内閣には「四月会内閣」との異名がある。 1994年(平成6年)5月結成なのに「四月会」(しがつかい)と名付けた理由には、4月から検討したからという説と「死学会(しがっかい)」という創価学会の打倒を目的としたからという説がある。
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