四夷と中華の支配とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 四夷と中華の支配の意味・解説 

四夷と中華の支配

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 23:27 UTC 版)

四夷」の記事における「四夷と中華の支配」の解説

清の第5代皇帝である雍正帝は、華夷思想により満州人夷狄とみなし、漢民族の明の復活唱える思想家に対しては自ら論破し討論経緯を『大義覚迷録』という書物にまとめ、『孟子』にある「舜は諸馮に生まれて負夏に移り、鳴條で亡くなった東夷の人である。文王は岐周に生まれ、畢郢に死した西夷の人だ。距離の離れること千余里、時代にして後れること千年あまりだが、志を立てて中国実行したことは割り符合わせたように一致している。先の聖人も後の聖人も、みな軌を一にしているのである」という中国戦国時代儒学者である孟子言葉をなぞりつつ、「本朝満州出であるのは、中国人原籍あるようなものだ。舜は東夷の人だったし、文王西夷の人だったが、その聖徳何ら損なわれてはいない」と強調している。 且夷狄之名,本朝不諱孟子云:“舜東夷之人也,文王西夷之人也。” 本其所生而言,猶今人籍貫耳。況滿洲人皆恥附於漢人之列,準噶爾滿洲蠻子滿洲聞之,忿恨之,而逆賊夷狄為誚,誠醉生夢死禽獸矣。夷狄の名は、本朝は諱むところではない。孟子は、「舜は東夷の人であり、文王西夷の人である」と言っている。もとの生まれたところは、なお今人籍貫のようなのであるいわんや満州人はみな漢人の列に附することを恥じている。ジュンガル部満州人蛮子呼び満州人はこれを聞いて憤り恨まないものはなかった。それなのに逆賊(の曽静)が夷狄であることを罪としたことは、まことに(『程子語録』にいう)酔生夢死(何も爲すことなく無自覚一生を送る)禽獣である。 — 大義覚迷録 中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります大義覺迷錄/卷一#二 李氏朝鮮文人・儒学者である林悌は、病死する際に、歴史上長城外の四夷だけでなく、西南チベット系吐蕃でさえ中華世界一度征服するか、都を占領し脅威与えているのに、朝鮮だけは中華脅威になったことすらなく、朝鮮大中君臣の礼、君父に忠のみである、と慷慨し、悲嘆にくれながら死んだ四海諸國, 未有不稱帝者, 獨我邦終古不能, 生於若此陋邦, 其死何足惜.四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない。 — 林悌、星湖僿說

※この「四夷と中華の支配」の解説は、「四夷」の解説の一部です。
「四夷と中華の支配」を含む「四夷」の記事については、「四夷」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「四夷と中華の支配」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「四夷と中華の支配」の関連用語

1
10% |||||

四夷と中華の支配のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



四夷と中華の支配のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの四夷 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS