嘉永一朱銀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/20 05:27 UTC 版)
嘉永6年6月3日(1853年)、浦賀沖の黒船来航の翌年、嘉永7年1月24日(1854年2月21日)に通用開始されたのが嘉永一朱銀(かえいいっしゅぎん)であり、お台場に砲台が築かれた時期に相当する。このときの工事に払われた日当が一朱に相当する250文であったため、お台場銀(おだいばぎん)とも呼ばれた。量目はさらに小さく一両当り8匁であり、一分銀をも下回る。この時期は一両小判を基軸とする計数銀貨が丁銀などの秤量銀貨を凌駕し、計数銀貨の使用が定着していたため、額面表示は「一朱銀」と直接的な表示となっている。 表面の「一朱銀」の書体および裏面の「銀座常是」の書体には数種類存在し、その系統には二種類あり天保一分銀の書体に関連のあるもの、および安政一分銀と関連の深いものがあり、前者を狭義の嘉永一朱銀、後者を安政一朱銀(あんせいいっしゅぎん)と分類するが、両者に銀品位の差はなく改鋳が行われたとの記録も存在しないため、広義には両方が嘉永一朱銀と分類されていた。 狭義の嘉永一朱銀には「一朱銀」の「朱」および「銀」文字の跳ねた物、「銀座常是」の「銀」、「座」および「是」文字の跳ねた物などが存在し、表9種、裏5種の字体の組み合わせにより45通りが考えられるが、このうち33種類が確認され、安政一朱銀は表9種、裏7種の計63種が知られている。さらに狭義の嘉永一朱銀では、33種類の他3種の新種の発見が報告されている。
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