貨幣司一朱銀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/20 05:27 UTC 版)
倒幕後、明治新政府は金座および銀座を接収して、太政官管理下に貨幣司(かへいし)を設置し、慶應4年4月17日(1868年5月9日)より翌年2月5日(1869年3月17日)まで、造幣局開局までの縫合策として幕府による貨幣を踏襲した二分判、一分銀、一朱銀および天保通寳を製造した。このとき製造されたのが貨幣司一朱銀(かへいしいっしゅぎん)であり、「常是」の「常」字の上部が「川」字を髣髴させるものであるため川常一朱銀(かわつねいっしゅぎん)とも呼び、鋳造期の大部分が明治時代になることから明治一朱銀(めいじいっしゅぎん)とも呼ばれる。 文政南鐐一朱銀および嘉永一朱銀が南鐐あるいは花降銀と呼ばれる上質の灰吹銀を材料としているのに対し、貨幣司一朱銀は銀品位が劣り、洋銀に近いものである。 貨幣司一朱銀についても表面の「一朱銀」の書体および裏面の「銀座常是」の書体には数種類存在し、その組み合わせにより多くの手代わりが存在し、表7種、裏6種の字体の組み合わせにより計36種が確認されている。
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