嘉永小田原地震とは? わかりやすく解説

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嘉永小田原地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 23:35 UTC 版)

小田原地震」の記事における「嘉永小田原地震」の解説

嘉永6年2月2日1853年3月11日)。マグニチュード6.7程度推定されている各地震度は、6から7が小田原(特に東南部)・塚原金子、6が布川中沼関本山田矢倉沢最乗寺高尾、5強から6が川村中日向・巣雲川仙石原で、江戸で震度4から5程度揺れであったとみられている。本震午前10時過ぎ頃に発生し10分から15分の間に2度地震起こった考えられている。本震後も余震続いた翌日夕方4時頃に最大余震があり、さらに被害出た。 最も強く揺れた小田原では、天守の瓦や壁が落ち小田原城三の丸藩校集成館倒壊した全壊した家は1,032戸、半壊した家は2,477戸、被害出た家は544戸。死者24人出た。箱根根府川関所にも被害出た箱根など341か所で山崩れ起こり真鶴(真鶴町)にも被害与えた真鶴湊では津波による引き波がみられたが被害はなかった。江戸城でも大手門渡櫓内の壁がすべて落ちた東海道道路関所などが被災したため1週間ほど通行不能となった各地震度以下の通り。(いずれも推定震度地域7小田原 塚原 金子 6布川 中沼 関本 山田 矢倉沢 最乗寺 高尾 5川村 中日向雲川 仙石原

※この「嘉永小田原地震」の解説は、「小田原地震」の解説の一部です。
「嘉永小田原地震」を含む「小田原地震」の記事については、「小田原地震」の概要を参照ください。

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