嘉永噴火とは? わかりやすく解説

嘉永噴火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:48 UTC 版)

有珠山」の記事における「嘉永噴火」の解説

1853年嘉永6年)、旧暦3月6日から鳴動始まり15日大噴火その後小康状態保っていたが、22日東部から再度噴火噴火時には立岩熱雲」と呼ばれる大規模な火砕流発生したが、文政噴火を知る住民たちはいち早く避難していた上、火砕流当時集落のなかった洞爺湖方向流下したため大きな被害はもたらさなかった。この噴火27日終息し翌日から山頂溶岩ドーム成長しはじめた。これが大有珠である。一方火山学者田中館秀三は、「大有珠の溶岩ドームそのもの寛文噴火以前から存在したが、その当時低くて山麓からは見えなかった。嘉永噴火急成長し、山麓からも見えようになった」と推測している。 江戸時代噴火はいずれ山頂からのもので、多量噴出物一気放出するいわゆるプリニー式噴火だった。また、いずれも火砕流火砕サージ発生見られ被害多く火砕サージ熱風による家屋焼失である。

※この「嘉永噴火」の解説は、「有珠山」の解説の一部です。
「嘉永噴火」を含む「有珠山」の記事については、「有珠山」の概要を参照ください。

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